理想をめざして
大学を離れて開業を決意したとき、それは同時に、これからの人生を自ら信ずる医療の理想達成のためについやそうと覚悟したときでもあった。すなわち先進高度医療具現の場としてふさわしい設備と機能と環境の設備を目指し、独善を排して広く知識を内外に求め、学問的にも社会的にも客観評価に耐えられる診療内容を貫き、もって医学における可及的真実の追求を目指そうということであった。
視覚の障害が他のいかなる感覚の障害にもまして、その人の人生を大きく左右するものである以上、治療的限界への挑戦は我々眼科医の責務でなければならないと思われる。医療をとりまく環境は年毎にきびしく、これからの年月と同様である保証は何もない。しかし、どんなに遅々とした歩みであろうとも初心忘るることなく、我等は自らの掲げた理想に対して忠実でありたいと願っている。
院長 栗原秀行
外来は医療機関の最前線であるとともに、診療者にとっては自らに対する試練の場でもある。我々の行った治療が現実に如何なる結果を招き、如何なる可能性を拓いているか、患者さんと対峙し顕微鏡の視野の中に、その冷厳な解答をよみとるときほど期待と不安の交錯を覚える時はない。そして、そこに示された事実を謙虚にうけとめ、常に最善の路を模索し、患者と共に手をつないで闘おうという姿勢こそ診療者への信頼をつなぐ原点であると思われる。
手術は現代の眼科学にあって最も先端的な知識と技術の集約したものである。
わずか一世代前には、不可能とさえ言われていた手術が、現在はごくあたりまえに行われているといった例は少なくない。しかもかつてのような、いわゆる名人芸的手術の余地は年毎に少なくなり、いかなる術者といえども組織的かつ段階的な訓練を行なえば必ず相当の水準に達し得る時代を迎えている。それだけにより緻密な、より正確な、より安全な手術への努力こそ、他に抜きんずる第一歩であるともいえるのである。手術室に立ち、ひとりの患者さんの視覚が、ひいてはその人の人生そのものが自らの指先にゆだねられているのだという事実にめざめるときほど、自分の使命と責任を痛切に感じるときはない。
開院以来今日まで、我々の課題のひとつは、ともすれば遠くなりがちな診療者と患者との距離をちぢめることであった。
手術状況をモニターを用いて同時中継し、家族へ供覧したり、種々の視聴覚器材を駆使しての説明の工夫、TVや側視鏡の充実等はこうした試みの一環である。また、もうひとつの課題は自分達の診療活動を常にふりかえることであった。全国規模、地方規模を問わず常に積極的に学会活動にとりくみ、講演を通じて批判を謙虚に受け止めようと努めてきたのもこうした考えの成果である。
今のところこうした試みは、少しずつみとめられてきてはいるが、我々の目指す地平はさらに遠くにある。今後ともたゆまぬ前進を続けてゆく所存である。